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焼肉のタレを開発した人は、自分が何を産み出したのか分かっているのかな?

ジューーー。

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熱い網の上で焼ける肉。そこから溢れ出る肉汁が蒸発し、煙となって鼻を刺激する。

ゴクリ。

生唾を飲まなければどうかなってしまうそうになる...。

 

ころ合いを見て、焦げてしまう前に網から救う。肉一切れにも命がある。焦がすなんて命への冒涜だ。

 

網から救ったその肉を、神秘の液体に付ける。

チョロッ。

この液体、もちろん焼肉のタレだ。

 

甘く、程よく酸味があり、肉に良く絡みつく。

前歯で噛みちぎるなんてことはしない。

 

一気に口の中に放り込む。

 

途端に広がる香り。

 

ふわぁー

 

あぁ...。

なんていい香りなんだ。肉の持つ生臭さを消し、それでいて風味を損なわない。

 

奥歯で噛むと肉汁が溢れ出し、全神経が口の中に集中する。

飾り気のある言葉はいらない。

ただ、ただ、美味い...。

 

この美味さは、肉だけではダメだ。

肉とタレが一緒になって初めて実現する。

 

例えば、箸一本では物をつかむ事ができず、刺して食べるしかない。

それでは味気ない。

二本で挟める事で、初めて美味しくご飯を頂ける。

二本で一組の箸と同じく、焼肉も肉とタレで一組。

ニコイチ。

 

肉を焼いて食べる事が焼肉ではない。肉を焼いて、タレに付けて食べる事が「焼肉」なのだ。

タレに付けないのであれば、それは「焼肉」という単語を使ってはならない。

「焼いた肉」と呼ぼう。

「焼肉」という単語は、タレがあって初めて成立するのだ。

 

だが、私も鬼では無い。

一回の食事で一度でも焼肉のタレを付けて食べるのであれば、他の食べ方(塩やサンチュに巻いてサムジャンを付ける等)をしていても、その食事全体としては「焼肉」と認めよう。

『昨日の晩御飯は焼肉だった。』と言ってもいい。

例え「焼肉屋」で食べたとしても、一度も焼肉のタレに付けて食べていなければ

『昨日の晩御飯は肉を焼いて食べた。』と言うべきだ。

 

話が焼肉のタレの事から焼肉全体の事に及んでしまったが、それだけ「タレの持つ力」が大きいから仕方がない。

 

焼肉のタレの歴史は意外と古い。

「焼肉のたれ」が発売されたのは、高度経済成長期を迎えた1968(昭和43)年。人々の食生活が豊かになり、これまで魚中心だった食卓に、さまざまな肉料理が登場し始めた時代です。街中では焼肉店が次々と開店し、若者たちで賑わっていました。当社の 創業者である森村國夫が、そんな光景を見て「焼肉をなんとか家庭に持ち込めないものか」と思いついたことから、「焼肉のたれ」は誕生したのです。

引用:「焼肉のたれ」誕生秘話 | エバラ食品

つまり「焼肉のタレ」は、家庭でも手軽に焼肉が食べられるようにしたいという願いから産み出されたのだ。

なぜそれまで家庭での焼き肉が手軽にできなかったかと言うと、以前は「つけダレ」スタイル(肉をタレに漬けてから焼く)だったため、焼く時にあまりにも煙が出てしまい、家庭ではまさに嫌煙されていたからだ。

「焼肉のタレ」が発売された事で、肉単体を焼いてからタレに付ける事が出来るようになり、煙の量も減った。

そのおかげで家庭でも手軽に焼肉が出来るようになった訳だ。

ここまで焼肉文化が大きく発展できたのは「焼肉のタレ」のお陰と言わずしてなんと言う。

 

つまり、「焼肉のタレ」を開発した人は、日本における家庭焼肉文化を作ってしまったと言っても過言では無い。

 

開発者である森村国夫は2010年に亡くなられており、この気持を伝える事はできない。

 

あなたは「焼肉のタレ」を開発したと共に、「焼肉文化」まで産み出したのです。

ありがとうございます。

 

それと同時に、私の大事にしていた「白いシャツ」についた

シミも産み出したんです。

 

すでに3回は洗いました。取れません。

どうすればいいですか?